ホラー(映画) 映画 映画感想

『ザ・ウォッチャーズ』(2024)の映画感想・評価(ネタバレあり)

一乃

ホラーと本と映画と猫とレオパが好きな者です。

基本情報

ザ・ウォッチャーズ(2024)
原題:THE WATCHERS
製作国:アメリカ
監督・脚本:イシャナ・ナイト・シャマラン
製作:M・ナイト・シャマラン、アシュウィン・ラジャン、ニミット・マンカド
原作:A・M・シャイン
出演:ダコタ・ファニング、ジョージナ・キャンベル、オルウェン・フエレ、オリバー・フィネガン

あらすじ

アイルランドの都市・ゴールウェイにあるペットショップで働くミナ(ダコタ・ファニング)は、ある日動物園にオウムを届ける仕事を任される。車で向かうミナだったが、森の中の道で車が突如故障し、助けを求めようと入り込んだ森で迷子になってしまう。森をさ迷い歩くうち、ミナは不思議な雰囲気の老婦人・マデリン(オルウェン・フエレ)と出会った。森の中の不気味な気配に追い立てられ、ミナはマデリンを追って一軒の建物に逃れる。そこには他にもキアラ(ジョージナ・キャンベル)とダニエル(オリバー・フィネガン)という男女がおり、毎晩「何か」がガラスの向こうから建物の中を監視しているのだという……。


↓邦訳はされていませんが、一応原作小説がこちら。続編も出るらしい。

作品紹介

M・ナイト・シャマラン監督の娘、イシャナ・ナイト・シャマランの初長編映画監督作。
シャマラン監督作品といえば、結構当たり外れがでかいというか、独特の持ち味があるというイメージだ。私がわりと好きなのは『ヴィジット』である。果たしてイシャナ・ナイト・シャマラン監督はどんな作品を撮るのだろうか?
しかも主演がダコタ・ファニングである。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でもびっくりした覚えがあるが、いつの間にかめちゃめちゃ大人になっていてまたびっくりした。

こんな人におすすめ

・アイルランドの森の幻想的な雰囲気に惹かれる方
・象徴的、寓話的な雰囲気のホラーが好きな方
特に「幻想的」というワードがポイントである。あんまり言うとネタバレになってしまうが、殺伐としたホラーというよりは、フォークロア的な雰囲気が大きな手掛かりとなる作品だと言える。

ざっくり感想(ネタバレなし)

予告や宣伝を見ても分かるように、「主人公たちを監視しているものの正体は何なのか?」というのが物語における最大のキーである。
その正体が何なのかによって作品の方向性がはっきりと位置付けられるため、そこで好き嫌いがはっきりと分かれるポイントでもあると言える。「そうきたか!」が良い意味になるか悪い意味になるのかは、見る人の好みによって分かれるだろう。

私自身はというと、本来の真実と結構真逆の方向性で予想をしていたので、正直に言うと最初はちょっとがっかり感が強かった。最終的にまあこれはこれでありか、というところに着地したが、多分私のように「ホラー」という言葉に重点を置きすぎていると肩透かしを食らってしまうかもしれない。

一方、アイルランドの美しくも神秘的で、人を寄せ付けない雰囲気の森の風景はとても魅力的だった。湿った土と草の匂いが漂ってきそうな、ひんやりとした霧に身震いしてしまいそうな、深い深い森である。普通の動物とは違う別の何かがいても全くおかしくないような雰囲気で、こんな森のど真ん中で迷子になったらさぞかし心細いに違いないと思わせられる。
また劇伴もそんな森の雰囲気にぴったり合っており、どこか緊張感のある弦楽器の音色がとてもいい雰囲気だった。

ストーリー解説・感想(ネタバレあり)

前半:「監視者」とは何なのか?

主人公のミナが迷い込む、「鳥カゴ」と呼ばれる奇妙な建物。建物というよりはほとんど箱のような構造で、一つの面はガラス張りになっており、夜になるとガラスは鏡となる。しかし外からは鳥カゴの中が見えるようになっており、毎晩「何か」が集まっては中にいる人間たちを監視する……。
他にも森の中に点在する「回帰不能ポイント」の看板や、常に光の中にいなければならないというルール、森が見せる幻覚など、不気味で得体の知れない要素が散りばめられており、物語前半の雰囲気は緊張感に包まれている。そもそも、鳥カゴという建物も謎だ。これは監視者が作ったものなのか、人間を覗き見るのは一体何のためなのか?

ある夜、鳥カゴの厳重にロックされた戸を叩く者がいた。その声に、キアラは出て行ったきり帰ってこない夫のジョンだと気付き扉を開けようとする。しかしマデリンは、これは罠だから決して開けるなと強く主張する。彼本人しか答えられない質問をしろと言うマデリンに、キアラは「私が読んでいる本は?」と扉越しに尋ねる。しかし、ジョン(?)は答えようとせず、何者かに襲われたかのように姿を消す。結局罠だったのか何なのか、謎が残る不気味なシーンである。
また、時折垣間見えるウォッチャーの姿も何とも不気味だ。人間のような指のある手を持っているが、身体はかなりひょろ長く、地を素早く這うようにして移動する。

物語が一気に転回するのは、冬に入ってからのことである。辛抱できなくなったダニエルは、ミナとマデリンを鳥カゴから閉め出して事態を強引に変化させようとする。ウォッチャーらは彼女たちの不在に怒り、二人が何とか鳥カゴに戻ってからも、建物を襲撃する。
そこでマデリンが唐突に明かし始めるのだ。彼女は元々神話や伝承を研究する学者で、ウォッチャーらもそういった伝承に連なる存在なのであると……。チェンジリング(取り換え子)、妖精、というワードをマデリンは口にする。よ、妖精!?
なんと、監視者とは妖精だったのである。な、なんだってー!

さて、この正体にどういう感想を持つかによって、まずこの作品の評価が分かれるところだと思う。ちなみに私は「そっちかい!」と思った。もちろんこの場合の妖精は、ファンシーでラブリーな感じの存在ではない。そもそもヨーロッパの伝承における妖精というと、何か結構邪悪なやつもいたりするし、人型だけでなくクリーチャーっぽい見た目のやつもいる。
本作におけるウォッチャーら妖精は、人間の姿を真似ることができる能力を持つ。古来は人間たちと共存していたが、何やかんやで争いになり、翼を奪われて地下に封印されたらしい。よくあるやつだ。この辺から物語はややダークファンタジー的な雰囲気になっていく。

鳥カゴの正体も明らかになる。ウォッチャーたちにあわや建物を破壊されかける寸前、ミナたちは地下に繋がる通路を発見する。そこは豊富な食糧やパソコンまであるシェルターになっており、断片的に名前の出ていた「教授」という人物が記録映像を残していた。
教授は妖精たちの研究のために人命を犠牲にしてまで鳥カゴを建設し、ウォッチャーの一体を捕らえて友好関係を結ぼうとまでしていたが、最終的にそのウォッチャーを殺して自分も死のうという結論に達し、これを見た人間に自分の研究結果を破壊してくれと訴えていた。

後半:自分自身と対峙し乗り越えること、過去の罪を許すこと

教授が脱出用に残したボートを目指し、一行はシェルターから出て川へと走る。日は暮れ、動き出したウォッチャーたちに追われるが、キアラの夫ジョンに姿を変えたウォッチャーを助けようとしてしまったダニエル以外は何とかボートに乗って森を抜けることに成功する。森を離れていく三人を怒りのこもった様子で見送るウォッチャーたちの様子は非常に不気味で気持ち悪い。いいビジュアルである。

ひょっとしてこれで終わっちゃうのかと思ったが、物語はまだしばらく続くのだ。
教授の願い通り、彼の研究室に行って研究結果を持ち去ろうとするミナ。しかし彼女はそこで驚くべき写真を発見する。彼女はそれを持ってキアラの家に向かい、写真——教授とマデリンが仲睦まじい様子で映っている写真をキアラに見せる。写真に写っているマデリンは教授の亡き妻で、ミナたちが一緒にいたマデリンの正体は、教授がかつて捕らえていたウォッチャーだったのだ。

さて、マデリン(=ウォッチャー)は日の下を歩ける異端のウォッチャーであり、それゆえに仲間から忌み嫌われていたことが彼女の口から語られる。マデリンは人間への憎しみを訴えたが、ミナは、教授の研究にあった人間と妖精の間に生まれた子がマデリンなのではないかと推測する。そして、かつて人間たちと友好的な関係を築いてきたのならば、きっとマデリンのような存在が他にもいるのではないかと彼女に言うのである。
最終的にマデリンは矛を収め、しかしずっとミナを監視しているからな、と去っていくのであった。

突っ込むならば、マデリン容易く説得されすぎでは!?という感じではある。しかしながら、いくら人間の世界に出ようとしていたからとは言え、積極的にミナたちを守るような姿勢を取ったり、ある程度の愛着というか信頼が根底にあったようにも思える。

そもそもこの作品では、人間という存在はどちらかというと善性に傾いた存在として描かれているように見える。あんな極限状態にあったらもっと盛大な仲間割れが起きてもおかしくない気もするが、ミナやマデリンは基本的に冷静だし、キアラは包容力のある優しい女性で、唯一男性のダニエルは反抗心を見せることもあるが、父親の暴力にやり返してしまう羽目になることを恐れて家を出たというナイーヴな若者である。彼はどちらかというと守り導くべき存在として描写されている。
この映画は人間に対して、一貫して優しい目線で描かれているのである。罪も犯すし、悪の面も存在するけれど、根底には善性があるのだというような思いを感じる。

自分の罪を責め続け、自分から逃避するように生きていたミナは、森の中で繰り返し自分と対峙させられる。鳥カゴの一面の鏡、森が見せる自分自身の幻影、そして自分の姿や声を模倣するウォッチャーたち。
人間は過ちを犯すが、それを乗り越えるためには逃避ではなく対峙が必要なのだ。そして、正しく向き合うことで、人間はより善い方へと過去を乗り越えていける。ミナは最終的に、母親の死以降避け続けてきた妹にも向き合うことができた。双子の妹であるルーシーの、その外見はミナと瓜二つである。
物語の序盤、ルーシーは電話でミナに「母親の死をいい加減吹っ切れ」というような言葉をかけていた。ミナが自分の行動が原因となって母親を亡くしてしまったことを悔いている、ということが分かると、それは決して冷たい突き放しではなく、ミナへの許しと慰めの言葉なのだと理解できる。

結論:結局面白いのかどうなのか

と聞かれると、……面白くなくはない!という歯切れの悪い答えになってしまうのだが、こればっかりはかなり個人の好みに左右されるタイプの映画だと思う。
前半の不気味で緊張感のある雰囲気、散りばめられた象徴的な要素などはとてもわくわくする。要は、ウォッチャーたちの正体が明かされるまでの雰囲気は非常に良いのである。だからやっぱり、その正体に対してどういう感想を抱くかという点と、物語の着地点に満足できるかという点が是非の分かれ目になるのだと思う。

これはすごく余談なのだが、主人公の名前がミナで妹がルーシーなので、『吸血鬼ドラキュラ』に関連があるのかと一瞬思ったのだが別にそんなことは全然なかった。いや、もっと深く考察したら関連性が見えるのかもしれない。誰か考えてください。
あと、良かったと思う点にもう少し言及すると、マデリンのビジュアルが神秘的な雰囲気120点満点でとても良かった。プラチナブロンドの長髪がとっても素敵だ。あんなおばあちゃんになりたいものである。
あとオウムは無事だし最終的にちゃんとミナに飼われる。そういえば動物園に連れて行く話はうやむやになったのだろうか。

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