基本情報
こうしてあなたたちは時間戦争に負ける
原題:This is how you lose the time war
著者:アマル・エル=モフタール&マックス・グラッドストーン
翻訳:山田和子
出版:早川書房
あらすじ
あらゆる時代のあらゆる場所に工作員を派遣し、激しい覇権争いを続けている《エージェンシー》と《ガーデン》という機関が存在した。とある並行世界(ストランド)でのミッションを終えたばかりの《エージェンシー》の工作員・レッドは、戦闘の跡地で何者かの気配を感知する。そこでレッドが見つけたのは、敵である《ガーデン》の工作員・ブルーからの手紙だった。お互いを好敵手と認めた二人は、数多のミッションの最中に手紙を残し合うようになり……。
作品紹介
本作は新★ハヤカワ・SF・シリーズから出ている。書店で海外ミステリとかSFの棚を見ない方には多分ほとんど馴染みがない、ぱっと見新書のようで微妙にサイズが違う、ビニールカバーがついたシリーズである。本文用紙がクリーム色なのがおしゃれな感じ。ハヤカワ文庫といいなぜ早川書房は普通のブックカバーに収まりにくい版型ばかり……。
帯によると、『SFが読みたい!2022年版』のベストSF 2021《海外編》の第3位に選ばれたそうだ。あと海外ではヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、英国SF協会賞というSF小説関連の賞を軒並み受賞しているらしい。すごい。
時代も場所も縦横無尽、二人の工作員による時空文通SF
さて、帯には更に「時空文通SF」と書いてある。書簡体小説というジャンルがあり、登場人物の間で行き来する書簡(=手紙)の内容をメインに進行する作品を指すが、本作も一種の書簡体小説と言える。レッドの視点→ブルーからの手紙→ブルーの視点→レッドからの手紙→……という形で物語が進行し、本文の半分以上が二人の手紙の内容で構成されているからだ。
時空を縦横無尽に行き来する二人、しかも敵対勢力なのでお互いの陣営にやりとりがバレてはまずいという状況で、果たしてどのような方法で手紙を残し合うのか。これだけでもなかなか面白いのだが、やりとりを重ねていくうちに仲が深まり、それぞれの心情が切々と吐き出される手紙の文面が本当に美しいのである。翻訳者によるあとがきを読むと、原文は非常に凝った書き方をしているようで、韻を踏みまくった詩のような文章らしい。さすがに押韻を日本語で再現するのは難しいものの、詩情は存分に味わえる。
世界観について分かりやすい説明があるわけではないのだが、とにかく《エージェンシー》と《ガーデン》という二大勢力が無数の並行世界に各々の工作員を送り込み、ちょっとした工作から大々的な戦闘まで、自分たちの求める時代の流れを作るために日々せめぎ合っているというのが分かればよいと思う。ブルー曰く、《エージェンシー》は「テクとメカのディストピア」、《ガーデン》は「蔓植物とミツバチの巣箱でいっぱいの妖精世界」のような感じらしい。
どちらかというと感覚で読んでいくタイプの小説なので、こういう雰囲気の翻訳小説を読み慣れていないとちょっぴり苦労するかもしれない。しかし、SFって科学知識とかがないとよく分からないんじゃないの?と思っている方などには、こういうのもあるんだよ!と本書を紹介したい。本書は時空文通SFであり、中編小説の形をした詩であり、愛をめぐる壮大な物語なのだ。そう、愛。
感想(ややネタバレあり)
手紙による交流、自己開示、そして愛
よきライバルとしてお互いを意識するようになったレッドとブルー。手紙で少しずつ自分のことをさらけ出すようになった二人は、お互いを深く知り、やがて愛し合うようになる。つまり、作品内の手紙のほとんどは(ひょっとしたら全てが)ラブレターなのである。
ラブレターと聞いて、どんなものを思い浮かべるだろうか。私はこの作品を読んでいて、初めて愛の言葉で涙ぐんだ。あまりにもぐっとくるのである。選び取られた言葉の美しさはもちろん、死地に身を置き、ともすればいつか殺し合うことになるかもしれない立場の二人が、それぞれ感じてきた孤独を互いに吐露し、受け止め、相手を愛おしむ気持ちの切実さ。ものすごく端的に言うと情熱的なのだが、浮足立ったそれではなく、血を吐くような、自分の存在全てを投げ込むような感情がそこにはある。
そしてまた、本作における手紙のやりとりはただの文通ではない(文通SFとは言うものの)。何せ、相手の次の行動を予測して、無数の時代の無数の場所のうちから一か所を選び出し、更に互いの陣営にバレないような形で手紙を残す必要があるのだ。
つまり、手紙は単に紙の上に書かれるのみではない。例えば木の年輪、アザラシの内臓の中の魚の欠片、紅茶を混ぜる渦の中など——我々読者がまるで想像もしない形で、二人の手紙はやりとりされる。次は一体どんな風に手紙が残されているのか、そこにはどんなことが書かれているのか。それを追いかけていくだけでも面白い。
誰が時間戦争に勝ち、誰が負けるのか
しかし、フィクションにおいて戦場での敵同士が愛し合ってしまった場合、必ずと言っていいほど発生するイベントがある。愛する相手を殺さなくてはならない場面が来るのである。当然のように、やがてレッドとブルーもその状況に追い込まれる。
最終的に二人がとった選択とは?
そして、タイトルの『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』とは、誰の視点からの言葉で、「あなたたち」とは一体誰を指しているのか?
気になる方は、ぜひ本書を手に取って読んでみて欲しい。物語自体は300ページにも満たないコンパクトさなので、一度作品のリズムをつかんだらさくっと読めるはずだ。
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